素質馬そろいでも、きさらぎ賞は負けた経験のある馬が穴をあける
SPAIA編集部

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クラシックへの登竜門
日本古来の月呼称を由来とするJRAのレースは数多い。しかしダートのオープン特別や条件戦に冠された師走Sや霜月S(それはそれで重要なレースではあるのだが…)などに比べ、長い歴史を誇るきさらぎ賞ではその温度差が変わってくる。これは後に続く弥生賞からGⅠ皐月賞へとつながるクラシックロードの始まりを、そのレース名からも連想してしまうことに他ならないからであろう。
いまだ厳寒期の京都競馬場で行なわれる、3歳クラシックの登竜門というべき一戦は、確実に春の訪れが近いことを予感させてくれる。では、実際にクラシック戦線へとつながるレースとして機能を果たしているのであろうか。
古くはスペシャルウィークや、ネオユニヴァースなどのビッグネームが優勝馬に名を連ねており、一応の成功を収めているかに思える。しかし、近年の結果をみると、少頭数の割に配当的には荒れ気味との傾向もみてとれる。その要因を少し掘り下げて考えてみたい。
少頭数になる理由は?
そもそもなぜ、きさらぎ賞は少頭数のレースとなってしまうのか。クラシックを目指す素質馬たちの始動が遅くなりがちだった、昔の番組設定ではやむを得ない事情もあった。だが、2歳馬のデビュー、そして3歳馬の淘汰が早まった昨今でもこの状況に変わりはない。
想像できるのは、昔よりはるかに影響力を増したオーナーや大手牧場サイドによる、住み分けが行なわれている点。すでに2歳戦でクラシック出走に足りる賞金を加算できた馬たちは、この時期牧場でさらなる成長を促す調整が行なわれ、最大目標である日本ダービーから逆算したローテーションが組まれることとなる。
すなわち、きさらぎ賞に出走する有力馬はデビューが遅れたか、どこかで勝ち損じのあった事情を抱え、ここでの賞金加算を至上命題とした素質馬が集まってくると考えられる。舞台は紛れの少ない京都1800m外回りという設定。そして有力馬たちは強い。これでは食い込む余地もないと、多くの他陣営は考え、その思惑もあって頭数がそろわない。
負けた経験がものをいう
1番人気の馬にむやみに逆らうべきではない。それが妥当な見方であろう。2011年にはオルフェーヴルが3着に敗れている(これは彼独得のキャラに起因するものではあったが)が、2015年ルージュバック然り、2016年サトノダイヤモンド然り、素質上位の馬が勝つべくして強い競馬を見せるのがこのレースだ。
しかしまだデータに乏しく、課題を探している段階でもある3歳戦。レースで能力を実証できない馬が、その期待値にそぐわない人気を集めてしまった時、他馬の付け入る隙が生じることとなる。その武器となり得るのはキャリアの差。
昨年こそ新馬戦を勝って間もないサトノフェイバーが逃げ切りを決めたが、これは同馬の持つセンスの良さと、前日の天候不順の影響が色濃く残る馬場状態を巧みに利用しての勝利だった。いわば特殊なケースともいえるだろう。
確実に賞金を加算しなければならない人気馬が慎重な構えを見せる時、これまでの競馬でどういったレースをすれば負けるかを学んできた馬が思い切った競馬を選択した時。人気通りの決着では収まらない図式が見えてくる。
